今日は、現代哲学の観点で「時間」という概念を考察してみましょう。
「時間の集積=人生(命)」と考えるならば、「時間管理」という概念ではなく「人生管理」や「命管理」というアプローチもできます。
まず、「時間」って何なのかを真剣に考えることが起点です。
「時間は大切」「タイム・イズ・マネー」「時間は命」と、時間の重要性を口にする人はたくさんいますが、「時間そのもの」について考えることって少なくないですか?
「時間って何?」って聞かれても、「1年は365日、1日は24時間、1時間は60分、1分は60秒」っていうのは答えじゃないでしょう。
時計のチクタクが時間?
日が昇って日が落ちて、また日が昇って1日が過ぎたからそれが時間ってこと?
時間とは過去、現在、未来と流れていくものって思い込まされていませんか?
「人間誰しも1日24時間は同じ」って、誰にとっても時間が平等で絶対的なものって無条件で信じていませんか?
お金の管理や自由を得るためには「お金そのもの」をよく知ることが大切なように、時間についても「時間そのもの」を知らずして管理や自由は難しいと思いませんか?
ここでは、あえてアインシュタインの相対性理論などは持ち出さずに、日常生活の観点でシンプルに考えてみましょう。
例えば、時間の長短だって人それぞれ感じ方が違いますよね?
自分の感覚と誰かが決めたチクタク(1分は60秒)の概念とどっちが大事なんでしょう?
同じ時間(誰かが決めたルールでの時間)を誰かと過ごしていても、自分はとても長く感じ相手はとても短く感じるかもしれません。
一つの感覚モノサシとして、「楽しい時間は早く過ぎる」「辛い時間は長く感じる」というのがあります。
であれば、「最近、時間が過ぎるのが早くて」という人は、人生の楽しい時間を過ごすことが多い証拠なので、それは良いことなのではないでしょうか?
でも、一般的には「今年ももう8月。あっという間に年末になっちゃう」と時間が早く過ぎることを否定的に捉える傾向にあると思われます。
時間の長短=感覚ならば、「人生=時間」じゃなくて「人生=感覚」なんじゃないか?
だって、お金を求めるのもお金そのものが欲しい場合もありますが、たいていはお金を手に入れた時の安心感、満足感、好きなだけお金を使った時の爽快感、他の人が買えないようなものを買った時の優越感など、感情を求めているわけですし。
ならば、苦痛だらけの寿命100歳という長時間より、快楽まみれの寿命50歳の方が良くないですか?
また、時間はその人の年齢によっても長短が違うとも考えられます。
例えば、10歳の子にとっての1年は人生の10分の1ですが、40歳の人にとっての1年は人生の40分の1です。
当然、40分の1より10分の1の方が、大きいですから10歳の子の方が時間を長く感じ、40歳の人は1年を短く感じる。
じゃあ、100歳の人の1年は100分の1年だから、50歳の人の倍の速さを感じるのか?
同じ年齢の人だって、同じ1日を長く感じる時もあれば短く感じる時もある。
そう考えると、自分がどう感じようと時間の概念は決まっていて、それに従わなければいけないというのはあまりにも窮屈ではないでしょうか?
それって「正直者=善人」「嘘つき=悪人」みたいに、個人の感覚を一般化されてしまっているとも言えるのではないでしょうか?
この「時間」というものをどう捉えるかは正解はありませんので特に固定点は示しませんが、「時間とは?」を突き詰めて考えて、自分なりの
「時間論」を持てている人の方が、時間が有効活用できることは確かなのではないでしょうか?
そういう意味で、「時間管理」や「時間の自由」を考える前に「時間そのもの」を考えることは重要だと思います。
個人的には一般的な時間の概念を信用していないので(もちろん社会生活を営む上では一般的な概念に従いますが)、1日や1年という単位でなく、一生という単位で考えることに重きを置きます。
ただし、一生はいつ終わるかわからないので、現在の満足度と将来的な満足度とのバランスも考えます。
死んだ時にたくさんの預貯金を持っている日本人。
そして、残した財産のせいで残された親族を不幸にする日本人。
将来のために今を我慢して、我慢したまま今死んだら間抜けな気がしますし、今の満足だけを貪り将来苦しむのも悲惨ですし、じゃあどっちにウエイトを置けばいいのか?悩まれる人もいるかもしれませんが、僕はこの不確定要素とのせめぎあいを楽しんでいるフシがあります。
また、時間には「波」や「ウネリ」があるとも感じますので、いつも毎日一定のタイムスケジュールよりも、その時の人生の場面での最適な時間の使い方を重視します。
ひたすらロボットのように、起床5時55分、7時までジョギング、7時30分まで筋トレ、7時45分までシャワー、8時00分まで朝食、8時30分まで読書、8時45分まで紅茶を飲んで休憩、9時までメールチェック、9時から始業のように時間を刻んで、タスクをこなしていくことが必要な場面もあるでしょうし。
たまにいません?
毎日いっぱいスケジュール入れて忙しそうにしているのに、いつまでも成功してない人とか。
また、起きたい時に起きて、寝たい時に寝て、食べたい時に食べて、遊びたい時に遊んで、勉強したい時に勉強して、ゆるりと気の赴くままに過ごして、一見すると生産性のない無駄なことに興じることが次のステージの鍵になることもあるでしょうし。
たまにいません?
時間管理とか適当で自由気ままに生きているのに人生がどんどん良くなっていってる人とか。
1日の時間割りという目先のことを決める上でも、時間の集積である自分の一生を考えることが重要ではないでしょうか?
いつ終わりが来るかわからない人生、だからこの瞬間人生が終わっても後悔しない生き方をしつつ、不確定な将来にもつながる生き方をしたい。
じゃあ、今の自分は人生のどの場面?
その場面に適した過ごし方をしていれば、今死んでも後悔は少ないと思います。
そうすると今の場面を読むためにも全体を読む必要があります。
時間の使い方に正解はないでしょうが、人生の場面を見誤る悲劇はあると思います。
まぁ、悲劇のヒーローや悲劇のヒロインが人生のシナリオならば、その悲劇すら人生における時間の最適化になりますが。
結局、「幸せ」や「時間」など毎日触れ合う概念は、他人とコミュニケーションを図る上では一般概念に従う必要はありますが、基本的には自分の中で勝手に概念を作っちゃった方が生きるのは楽だと思います。
まとめますが、「時間」なんて誰にでも平等でもなければ絶対的なものでもなんでもないと気づいた方が、あなたの人生にとっての時間最適化はたやすくなるでしょう。
あなたは今、人生のどの場面?
そして、その場面における時間の最適化とは?
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